【悪戯かお菓子かアッー!】
「トリックオアトリート」
突然後ろからそんな言葉が聞こえたので彼は振り向いてみると、そこには一人の少年と一匹の犬と一体のロボットがいた。思わず首を捻ってみる。
「なんですか、もしかしてこの行事を忘れているんですか?」
「天田様、この行事は一般的な行事の中でも比較的マイナーだと言われているようです」
便宜上三人の格好を見てみる。天田は黒いマント、多分暗幕を羽織ってご丁寧に牙らしきものを歯にはめている。ただしちょっとサイズが合わなかったのか、マントの裾が地面を引きずっている。対してアイギスは同じようにマントだが、ちょっとだけ丈の短いものを着用しており、頭にはいわゆる三角帽子を被っている。ご丁寧に放棄を片手に携えているのだが、何と言うか引きずって歩いているように、後ろのカーペットが線を描いていた。
コロマルは傍からも見ればカボチャを被っている犬だ。それはそれで面白かった。
「ああ、そういえば今日はそんな日だったね」
「ええ、そういう事で、行事に参加しようとお菓子を頂きに来ました」
「とは言っても…」
突然部屋に入ってきてお菓子は無いかと聞かれても、正直あるかどうか微妙だった。とりあえず机の上に置いていたオッサンっぽいけどビーフジャーキーがあったので、コロマルに渡しておく。カボチャマスク越しからじゃ分かりにくいけど、尻尾がさっきに比べて左右に大きく振られている。
「私達には無いでありますか?」
「いや、今あったのがジャーキーしか無かったからね。悪いけど諦めて」
「そうですか……」
天田とアイギスは黙ってヒソヒソ話をしている。コロマルはさっきからジャーキーを食べようとしているけど、カボチャマスクが邪魔で食べられないのか、自分の目の前に置いて悲しそうな目で見ている。やっぱりマスクが邪魔で本当にそんな目をしているか分からないけど、哀愁が漂っている。
「ではイタズラをさせてもらいます。目を瞑ってください」
「俺の唇を奪おうとするなよ?」
「順平さんも全く同じ台詞を言ってましたよ」
「うわ、何か傷つく」
ちょっぴりセンチメンタルになったグラフティ。
それにしてもどうせ頬を引っ張ったりするとかそんなものだろう、天田だっていくらなんでも人権を無視するようなイタズラなんてしないだろう。
そう思っていた時期も、俺にはありました。
キュッ、キュッ、キューッ
頬に当たるあの独特の匂いと細長い接触面。どう見ても俺の頬と額とどこかに当たっている。
よし天田、お前これから一ヶ月タルタロスでベンチウォーマーやっていろ。
「…何をしている?」
「イタズラに決まっているじゃないですか」
「…何を描いている?」
「イタズラらしいものです」
「何で描いている?」
「勿論“油性”です」
「アリス召喚してお前誘惑させるぞ」
「僕は別に年下には興味無いですから。あ、後目を開けても構いませんよ」
見開いて眼前にいる小悪魔を睨んだ。だけど小悪魔は必死に笑いを堪えている。
「……鏡はどこだっけ?」
「あなたの後ろです」
振り返ってみる。恐ろしいものが待ち受けていようと、俺はそれを受け入れなくてはならない。何故だろうか、既に泣きそうになった。何が悲しくてこんな事をされなくちゃならないんだと。むしろどうやってこれを落とそうか考えなくてはならない。後で化粧落としを借りなくては。
そこにいたのは魔物だった。多分アフリカ大陸の奥地に集落を構えている『ン・パゴマ族』の伝統的な化粧の一つだろうと思い込む。そんな部族いるのかどうか怪しいが。
しかし何が悲しくて頬に『調教』と書かれてなくてはならないんだろうか。俺はそんな変態的行為をするような人間だろうか?
おでこには『無限正義凸』と書かれている。挙句お花畑まで丁寧に描かれ、ちょっと天田の絵のセンスに脱帽する。
「…一つ聞く。順平もって事は、他のみんなにも何かしたの?」
「ええ、あなたで最後です」
「ああ、やっぱりさっきのイヤホン越しに微かに聞こえた皆の悲鳴は本物だったのか」
気のせいかと思って特には気にしてなかったけど、とりあえず順平、真田先輩の声は聞こえていた。
「ん? そういえば女の子達と荒垣さんはどうしたの?」
「四人はその時お菓子を部屋に持ち込んでいました」
なるほど、偶然が征した訳か。だがしかし、こんな顔で他のメンバーと会うのはさすがに嫌だ。
「私からもイタズラがあります」
「はい?」
パァン!
何でビンタされるの? それ悪戯の範疇越えているよね?
コロマルにお菓子をあげたのは正解だと思った。よしアイギス、お前もこれから1ヶ月間ベンチウォーマーやっていろ。
どうでもいいけど、アイギスは11月からベンチウォーマーやると実質二ヶ月戦闘に出ないよね?
さてこれからどうしようと思う。何度鏡を見たって変わるものでもないし、さっきのことから推測すると、約二名もこんな事態になっているんだろう。
興味が出てきた。
問題はどうやって自分の顔を晒されずに他の人の顔を見るかだ。勿論普段ならどうでもいいで片付ける俺でさえこんな心情だ。他のメンバーも例外じゃない。それにこれを除去する方法もすぐに考えないと駄目だろう。確か化粧落としは最近じゃ油性マジックですら落とす事が出来ると認識される。
しかしながら俺は一般高校生。別に女装する趣味も無く(させられる事はあったかも知れないが)、化粧落としなんて持っている訳でもない。
やっぱり女子生徒の誰かに借りるしかないか。
だがここで問題が出てくる。どうやって借りに行こう? やはり携帯で事情を説明して持ってきてもらうに限るか。確か持っているのを確認しているのは、よく一階で化粧品を弄っているゆかりだ。
あれ? そういえば他の二人はどうなんだろう? まずやるべく事態を放置プレイしてそんな事を考えてみる。
女の子の化粧についてはあまり詳しくないのだが、詳しくても困るけど。
とりあえず二人に携帯で聞いてみた。
『ああ、明彦が連絡で同じような事を言い、先ほど顔を隠しながら借りに来たぞ』
『あ、すいません…先ほど順平君がメールで同じような事を言ってて借りてしまって今は無いんです』
当然か、俺だってこういう結論に至った以上、余程の馬鹿じゃない限りはこうやって間接的に借りに行くしかない。とりあえず電話してみた。
「もしもし、俺だけど」
『詐欺なら勘弁して』
ピッと携帯が途切れ、途方にくれた。ちょ!? あなた絶対に携帯の電話番号で誰か把握した上で切ったでしょ!?
鬼ですか!?
「もしもし、――だけど」
『あ、どうしたの?』
「まずは一つ聞く。俺だって分かってて切ったでしょ」
『うん。昔流行った俺俺詐欺だと思ったから』
結構前の携帯からそうだけどさ、ディスプレイに誰からの電話ってのは分かるよね?
『分かってても切ってみた』
まさに外道。
「前置きはいいから、さっきの悲鳴から分かるとおり化粧落しを貸してほしい」
『それが人に物を頼む態度?』
「…さっき、天田やアイギスに悪戯をされて顔に落書きをされました。油性だったので、化粧落しを貸してください」
「よろしい、今から行くから」
凄い敗北感を代償に化粧落しを手に入れた。問題はこのままではこんな無様極まりない顔を見せる羽目になってしまう事だ。それだけは勘弁だ。
適当なタオルを顔に巻いて、とりあえず鏡の前に立って落書きが見えない事を確認する。傍から見ればちょっと変わった人間だと思われようと、まぁそれはどうでもいい。
「開けるよー」
返事も待たずに待ち望んでいたものを持って来た人間はやってきた。ちょっと待て、年頃の男のこの部屋に入るのに有無を言わせず入るとは、それすなわちエロゲ的展開を待ち望んでいると同じなんですよ。
「うわ、何か凄い顔だね」
「顔を隠さないと多分死ぬような顔になった」
それはそれで見てみたい、とかゆかりが思っていたのはこの際気にしない方向にした。
うん、例えちょっとだけネコっぽい顔になって両手をワキワキとさせていようと、気にしない方向だ。
「ちょっとだけ顔を見せて」
「断る」
「知っているよね? 駄目と言われると人間ってやりたくなっちゃうの」
「うん、好奇心と禁則事項の関係性だね」
今言ったが、駄目と言われるほど人はそれをやりたくなってしまう事。例えば『ペンキ塗りたて』と書かれた紙が壁に張ってあったら、誰だって手形付けたいと思ってしまう。
ところがしないのは、大抵の人が手にペンキが付いてしまうから止めるで留まる。
だが今の場合は、特に止めるべく物が存在してない。俺の今の顔を見たからと言って、ある程度怒られるだけで済む。それくらいで怒られるなら構わないの方がゆかりの中では優先順位が高くなっているようだ。
「ちょっとだけいいじゃない、どうせ顔を洗うなら誰かに手伝ってもらった方が楽でしょ?」
「そういう問題じゃない。そういう問題じゃないんですよYUKARIさん」
「何か発音が違う気がするけど」
そういうことは気にしないほうがいい。問題はそれでもなお、彼女がタオルを取ろうと手を動かしていることだ。
まぁ待てお嬢さん。タオルを取るって行為は普通なら男女が逆かつ、取る位置も違った方がエロティシズムを感じますよね?
そこ、知らないからって噛み付かない。
「いや本当にお願い、本当に勘弁。こんな顔はゆかりにだけは見せたくないから、マジで」
「う…そう言われるとね……」
よし、軽くジャブが当たった。
「いやさ、これが順平とかだったら洒落で済むんだけどさ、やっぱりこんな顔は君には見せたくないんだ…」
何も答えない。俺からのジャブからコンボが付いたフックが決まったようで、後はストレート一直線だ。さてどんな台詞を言っておくか。
「こんな顔を見せて幻滅させたくないんだ。他の誰でもない、君にだけは」
先ほどまでの勢いはどこへ行ったのか、目の前の彼女は大人しくなり、自分の化粧落しを無言で差し出している。
よし、成功だ。早速俺はそれを受け取ろうと手を伸ばしたが……。
「トリックオアトリート」
お菓子なんてさっきコロマルにあげたから無いよ!! と思いながら、手を引っ張られて一気に顔を寄せられた。当然の事ながら、タオルは取られ、間抜け極まりない顔を露見させられる。
目の前で、顔が密着するくらい目の前で必死に笑いを堪えている。屈辱を通り越して自分が哀れになってくる。涙が出てきそう、否、泣いちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ。
というか顔が密着するくらい目の前に彼女の顔がある事はどうしたらいいものやら。本気で悩んでしまう。
「見んなよ…俺を見んなよ……」
以前順平が『これからあの豚は明日食肉になるのね』みたいな目で見られていた時にこんな台詞を吐いた事を思い出す。ああ、まさにこんな状況なのか。
思わず顔を伏せる。敗北感と屈辱感と羞恥心が込み上げてくる。
「なんか…うん…面白いけど、それ以上に可哀想」
以前順平と真田先輩と共に、女子が風呂入っている時間帯に覗いてしまおうとした際、全裸で顔を隠した順平が一点を凝視された挙句そんな風に言われた事を思い出す。あれは順平にとってトラウマとなっている。その際は何とか俺達が覗いたって分からないように脱出したから良かったが。
「お願いします、本当に顔を元に戻させてください」
頬には調教、おでこには無限正義凸と書かれ、アフリカ奥地に住まうン・パゴマ族の伝統的な化粧のような顔をした状態で真面目に言う。
当然滑稽以外の何者でもないんだし、どう見てもただのバカ。
とりあえず写メで一回撮られるという屈辱をされ、挙句保存されて化粧落しを貰った。
元の顔に戻った俺とてただで泣き寝入りするほど甘くない。
ここで逆転の発想!
まだハロウィンは終わっちゃいない!
「ところで…」
「何?」
そう、まだ10月の最後の日だ。それが何を示しているのは分からない筈が無い。
「トリックオアトリート」
危うく目の前の子羊は化粧落しを物理的に落としそうになる。
確実に罠にハメられた、と。
「トリックオアトリート、知らない訳無いよね? さっきも一人と一体と一匹が来たんだし」
当然の事ながらお菓子なんぞ今のタイミングで持っている訳が無かろう。そりゃ俺だって一般的な不健全高校生、お子様がやるようなイタズラで済むような生殺しはせん。
先ほどと優劣が逆転する。明らかに不利だと目の前の哀れな生贄は身構えている。先ほどもされたから両手をワキワキとさせてもう一度。
「トリックオアトリート」
よし、ちゃんと説明をしよう。
お菓子が無ければ(大人の)悪戯をしちゃうぞ。
ようしお子様方、これ以上詳しく、如実に、官能的に書いてしまうと確実に全年齢という言葉からアウトになってしまうので割愛する。
と思ったら……。
「めっ!」
押し倒そうと思った矢先に出て来たのは彼女の手による制止だった。
そんなと言いたくなる。だってこれから本番レッツゴーと思ったのに、そんな子どもをあやす様に止められては、こちらとしてはどうしようもなくなる。
「いつものようにしようと思っても駄目だから」
「駄目なんですか畜生」
こちらだって若い健全な高校生なんですよ。健全という言葉に反論をした奴前に出て来い。
「いいですか、年頃の若い男女が一つ屋根の下に住んでいるこの状況が、ただでさえエロゲ空間まっしぐらネコまっしぐらなのに、何にも措置がなされてないっておかしいですよ」
「されてる方がおかしいから。後女の子に対してその言葉はマジで引くから」
それもそうかも知れない。だけど、ほとばしる情熱と何かを自分の手で抑えろという方がおかしい。一時期個室に監視カメラなんて仕込まれていた事もあったから尚更だ。
「トリックオア……」
「だから駄目」
泣きますよ。某ジョー○ター家の人間の策略で腕が取れた時のエシ○ィシの時のように泣きますよ。
「ふぅ〜、俺は感情が昂ぶるとこれ以上無いくらい泣いて精神を落ち着かせるのだ」
「普通知らないから」
そこで理解できる貴女も凄いです。
「うーん、本当に駄目なのか」
「しつこいよ」
だからといって、せっかく公然的に悪戯し放題なこの日を逃す筈もない。勿論ハロウィンという概念からすると、俺の方が圧倒的に有利。
「仕方ない……」
そう言いながら顔を伏せ、諦めたように見せる。
勿論見せただけであって、諦める気なんて更々無いのが俺。
やっぱり頂く事にしま(グシャリ)
世の中そう簡単に上手く行かないと身をもって実感した一日だった。
「前が見えねぇ」
「自業自得!」
余談だが、順平と真田先輩も同じように落書きとビンタを食らった模様。それとコロマルから噛み付かれて散々だったそうだ。
ちなみに順平はテレッテと書かれ、真田先輩は『肉受』という実も蓋も無い事を書かれていた。