【中身が好きなので外見は関係なかったりする後編】
「……エリザベス」
鼻もといイゴールは痙攣が治まった事で、やっと立ち上がっていつもの椅子に座る事が出来た。まだ鼻はひん曲がっているが。
「何でしょうか?」
「先ほどの解除方法なのですが……最もポピュラーな体液である血液や涙を例に出さなかったのは何故?」
そりゃそうだ。本当に一般的な物を出さなかったのは、意図的な事以外の何者でもない。
ましてや涙なんて綺麗なもので戻れるならば万々歳じゃないか。
「普通の答えならばつまらないでしょう?」
それでエリザベスは一蹴した。
「それに……」
エリザベスの言葉はベルベットルームの昇降音でかき消された。
当然だがベルベットルームの中にいる間は多少なりとも時間の進みが速い。その為か気が付けば昼もある程度過ぎていた時間になっていたので、もしかして凄く怒っているんじゃないかと思う。
ところがそれも人だかりを見て不安も吹き飛んでいた。
「どうか、したんですか……?」
先ほどと言っても、俺がベルベットルームに入るまでに彼女がいたベンチの所に人だかりが出来ていた。ちょっと人が多いからか、俺自身何があるのか分からないから、適当な人を捕まえて現状を把握する
「ああ、あそこで寝ている子が可愛らしいようでね」
その言葉を聞いて俺は人混みを掻き分けて奥へと突き進んだ。ああなるほど、先ほどの寮のメンバーを和ませた寝顔を待たしながら眠っているのか。
やはり食後に眠くなるのは人間の性なんだろうと思いながら改めて時計を見ると、入る前より二時間ほど経ってしまっていた。
さすがに五歳の子どもに待っててねと言ってから二時間も放置するのは悪いと思う。特殊な性癖を持つ青年か中年が手を出さないようにコロマルはずっと番犬をしてくれた事が幸いだった。
「コロマル、悪い」
「バウ!」
ちょっとだけ不貞腐れている様だ。本当にごめん。今度荒垣さんに何か作ってもらうから。
そういえば荒垣さんは出かける用事があるって言っていたけど、具体的にはどこへ行ったんだろうか?
どうでもいいか。
「ほらゆかり、起きなって」
やはり悪いと思いながら、幸せそうに家族の団欒の夢でも見ているのか笑顔を携えて眠りこけている彼女は、俺をぼんやりと見ながら何かを呟いた。
「…おはよう、――――ちゃん……」
突然耳障りするほどの突風が吹いてその部分の言葉が聞こえなかった。だけど口の動きから何を発したのかは理解できた。
そして何かがおかしいと気づくのに数秒かかる。俺は確か自分の名前を言ってなかった筈だ。なのに何故俺の名前を呟いたんだ?
それにちゃん付けであることも気になった。
もしや岳羽の記憶は残っているのか? それとも……。
まさかな……。
しょうがないのでおんぶの体勢で岳羽を背負ってこれから数キロの道のりを歩く事にした。早めにここから離れなければそろそろ月高の面子で帰宅部の奴らなんかと鉢合わせする可能性があるから。
「ただいま」
「あ、お帰りなさい」
「ただ今帰りました」
まだ午睡をしている彼女をおんぶしたまま寮の扉を開けると、土曜日だから部活が無い山岸がそこにいた。聞く所によると順平はクラスメート、恐らく友近と遊びに行っている為まだ帰ってきてないようだ。
「他の人は?」
アイギスは午前中のミーティングの通り、学校帰りにそのまま桐条のラボへ向かったので今日は帰ってこない。桐条先輩は戻ってくるがアイギスの付き添いとして夕食は遅くなるそうだ。荒垣さんはまだ午前中から出かけている用事で帰ってこないようだ。真田先輩は部活に勤しんでいる。
「とりあえずコロちゃんのお散歩の片づけを始めましょうか?」
俺はそうだねと言いながら背中の軽いけど大荷物をソファーの横に寝かせ、山岸と後片付けやらコロマルの足の掃除などを始める。
「ほらコロマル、叫ぶなよ? 寝ている子がいるんだからな」
「クゥ〜〜ン……」
「コロちゃん大人しくなったね」
「そりゃ自分を嬉々としてお散歩をしてくれた子が疲れて寝ちゃっているんだ。無碍には出来ないよ」
ゴロンと天を仰いで俺達のタオル攻撃を抵抗できなくなって肉球を綺麗にされている。その姿に思わず口元が緩んでしまった。いくら寮は土足OKとは言え、コロマルは下手すればソファーの上とかに乗っては飛び跳ねる可能性があるから。
「……むにゃ」
目をシパシパしながらお昼寝の時間が終わった彼女は、辺りを見渡して俺の存在に気づいたようだ。
「あ、おはよう……――――ちゃん」
今度はテレビのハウリングが突然起きた事で、彼女は何を言ったのか分からなかった。そろそろ古いのか、あのテレビは。
「そのちゃんって呼び方は納得行かないんだが……」
「……そんな風に呼んでくれって頼んだの?」
「違う、そもそも記憶が五歳のままなら俺の名前を知っている事の方がおかしい」
そんなああでもないこうでもないと山岸に向かって討論をしていたら、後ろから凄い呻き声が聞こえてきた。
「ん?」
「むぅぅぅぅ!」
「ど、どうしたのゆかりちゃん?」
凄い膨れっ面と言うか、何かが気に入らないような顔をして
「おねえちゃんはなれて!」
山岸は岳羽が突然発した言葉を理解するのに少しばかり時間がかかったようだ。当然俺も言いたい事が分からない。
「わたしのなのに〜」
そう言いながら俺の服の袖をブンブン振り回している。ああ、やっと意味が分かったよ。
「ふふ…大丈夫よゆかりちゃん。ゆかりちゃんの大事な人を取ったりしないから」
「ほんとうに?」
「……おい、ちょっと待て山岸」
「どうしたの?」
「なんか納得が行かないんだが」
「どうして?」
「ううむ……」
いや、うん…なんと言えば良いのか分からない複雑な心境だ。嬉しいかと問われれば多分イエスと答えるだろう。
ただ、幼くなってしまった精神年齢から考えると多分『おとうさんだーいすき』みたいなレベルだろう。これがもしも元の姿のままで言われたら俺は卒倒物だが、なにせ幼女だ。喜んだら確実に貼られるであろうレッテルはロリコンだ。
というか冷静に考えてみろ、そもそもあのエレガが教えてくれた元に戻す方法をどれか一つでも行えば確実に変態だ。
だって体液だよ体液、こちら側の俺はやった事が無いけど、どこのエロゲなの?
あの某触手エロゲ大好きな俺である佐倉とは違うんだ。
とは言え、どんなヤバい方法でも戻さなければこれからの戦闘に支障が出るだろうし、今日のように誰かが学校を休み続けるのは得策じゃないと言う客観的に物事を考えている俺もいるわけで。
「本当にどうしたものやら……」
「大丈夫じゃないの?」
「だといいんだけどな……」
俺の願いが聞き入れられるなんて殊勝な事は無かった。
「でー? 結局ゆかりッチが元に戻る方法は分からないと?」
「ああ」
「困ったものだな……何かが引き鉄となって戻るのか、それとも時間が関係しているのか見当が付かないのがな…」
厳密に言えば俺は対処法を元凶から教わったけれど、他の人に教えるにはちょっと憚られる内容だったから教えない事にした。
それってつまりは俺がどうにかして戻すという事の現れでもあるのだが。
ここでいくつかの対処法を考えてみる。エリザベスから指定された体液の部類で戻すとしたらどうするべきか。
実は、この時点で大きな勘違いをしていたが、それに気づく事は無かった。
その勘違いとは冒頭で鼻とエリザベスが話していた内容だと聞かされるのは後日だった。
1:精え…論外であり犯罪です
2:汗…俺はどこの真田先輩だ?
3:唾液…それってーと、つまりはキスをする事だよな?
どうしよう、俺の中で術が固まりつつあるマジ外道なんだが。
いや待て待て待て待て、落ち着け、落ち着くんだ、素数を数えろ。素数は俺に勇気を与えてくれる数字だ。それでいて孤独も添加物として用意されており、化学調味料として寂しさが添えられている。それをジックリコトコト煮込めばハイ出来上がり、結論と言う料理の完成です。
「ま、明日にでも戻っているんじゃないかな」
俺は適当そうに他のメンバーに告げる事で何かを悟る。外見云々の問題はこの際無かった事にしよう。何故なら本質で言えば16歳の高校生だ、いや、確かこの前17歳になったと学校帰りに話を聞いた。
「ごちそうさまでした!」
手をパンパンと叩きながらお辞儀をしているなか、俺はその仕草を見て開き直る事にした。
表面には出さないが可愛いなと思う事は勝手だろうと。こっちは生まれ持ってのポーカーフェイスだ、バレる事は無い。
「お前ってさ…なんか喜んでない?」
何故分かった順平!? 早速指摘されているぞ!?
「……なんで? このままじゃ戦力外だぞ、早く戻ってもらいたいと思うんだけど」
「や、何ツーか、うーん…いつもより表情が柔らかいというか、邪念を感じると言うかだな」
何だよ邪念って。ジャ○ンバか?
「おいしかったです、ありがとうございました」
「ああ、そうか」
今日はちょっと離れた街にある市場へ買いだしに行った荒垣さんが作ったと言う事もあり、子どもでも食べれて好評なメニューだった。
荒垣さん曰く、『市場で買った方が卸売業者を介さない事もあって安い』だそうだ。交通費を考えるとある程度しか差が出ないが、それでも徐々に食費は落ちている。
「ありがとうおじちゃん」
「お、おじ……」
あ、荒垣さんショックを受けて『orz』みたいなポーズを取っているよ。
「え、えっと…荒垣さんがお父さんみたいな父性がある人だからであって、老けている訳じゃないと思いますよ」
「……そんなもんか」
さすが山岸のフォローだ。納得が行かないながらもある程度正当化させたみたいだ。というかこれが他の面子だったらこうは行かないだろう。
「うんしょ、うんしょ……」
「何をしているの?」
隣で岳羽は食器を危なっかしく積み重ねて遊んでいた。ここで頭ごなしに叱るのは可哀想なので、ちゃんと理由を聞いてあげる。
「おかたづけ! ママが『たべたらおかたづけしなさい』っていっていたからするの」
ああ、なるほど。今では母親と確執があっても、その当時はキチンと言う事を聞く子だったのかと思うと目頭が熱くなる。
「どうした? 急に天を仰いだりして?」
「いや、なんでもないです」
厳密には天井を向いて熱くなった目頭を冷まそうとしただけだったけど、そこらは俺以外の誰にも気づかないだろう。
「さて、とりあえず岳羽がこんな姿になった原因ですが。具体的な打開策は明日講ずることにしましょう。もしかしたら次の日には戻っているかもしれないので」
知れないのでではなく、確実に明日には戻るのだけれど、そこら辺は言わないほうが良いだろう。ベルベットルームについて説明しても理解されないだろうし、何よりも解除方法を伝えれば確実に揶揄されるだろう、変態と。
俺としては暗闇の荒野に進むべき道を切り開くと言わんばかりに覚悟した。誰もいない時、それ即ちミッション開始の合図だ。
話は戻るが、こんな状況でタルタロスに行く事も無く、全員は思い思いに夜を過ごしている。
とは言え所詮は五歳、影時間になる前に眠くなるのは当然だった。岳羽は山岸と一緒にテレビを見ながらもうつらうつらと頭を揺り動かしている。考えてみれば一日中散歩をしていたから疲れたんだろう。
「ゆかりちゃん…もう寝た方がいいんじゃない?」
「まだ…おきるの…」
多分テレビを見たいから起きようとがんばっているよりも、こうやって旅行先でお泊りしている時特有の夜更かししたい欲求に駆られているんだろう。わずか五歳でそんな欲求が出るのはこれからの成長に差し支えるだろう。
ふと思い出したのだが、別の俺である佐倉の奴がこんな事を言っていた気がする。
『主人公の元に10年前の幼馴染がやって来るんだが、その子を自分好みに調教すると現代にいる幼馴染もそれに応じて性格やら趣味嗜好やら変わるエロゲがあったな』
幼馴染云々やエロゲはこの際放置。だがそんな事が出来るはずも無い。
「あ、ゆかりちゃん寝ちゃった……」
どうでもいい事を考えていたら、どうやら睡魔に負けてしまって山岸に寄りかかるようにして眠っている幼き子どもがそこにいた。
「どうしようか?」
「部屋まで運んでくれませんか?」
早速絶好のタイミングが来ましたか。
「まぁ、別に構わないんだが、一応寮則だと三階に男子は立ち入り禁止だけど…」
「今のゆかりちゃんですから大丈夫ですよ」
山岸は分かってないな、今の岳羽だから余計に立ち入り禁止にさせたほうがいいんだよ本来は。
しつこいようだけど俺はそういう趣味の人間じゃない。相手が岳羽だからなんだ。うん、そうだ。
例え放課後に神社で小学生から親の離婚問題について相談されて親身になって返答しようとな。
「……分かった。運んでいくから」
まだ十時にもなってないけど五歳だから仕方ないだろう。そう思いながら俺は舟を漕いでいる子どもを拾い上げるようにして抱えた。この際お姫様抱っこの形になったのは気にしない。
「ではお願いしますね」
「ああ、分かった。それと俺も今日は一日中散歩していたからそのまま部屋に戻るよ」
戻るのは数時間先かも知れない、それとも今日は部屋に戻らないかもしれない、それは伝えない方向にした。
そんな中、いつの間にか帰ってきていた桐条先輩と鉢合わせてしまった。
「どうした? そんな驚いた顔をして」
「いつの間に戻ってきていたんですか?」
「ああ、お前が風呂に行っている間だったな、そのまま用事があって部屋で調べ物をしていたんだ」
「成程。とりあえず俺はこの子を部屋に寝かせようと思うんですが」
そう言って真下を見ると、すやすやと寝息を立てている幼女。極力他意は無い様にして先輩と話す。こっちの心中はかなり冷や汗物だというのに。
「そうか、私は遅い夕食の時間だから、この子…岳羽は任せたぞ」
俺はハイと言いながら後ろを振り返らずに先へ進んだ。アイギスは今日は帰ってこないし、山岸はもう少しテレビを見ている。桐条先輩は先述の通り食事なのでしばらくは戻ってこないだろう。ましてや男子がこっちに来るのは論外。
つまり、しばらくの間は二人っきりという事だ。邪魔などされない。
朝にも入ったけど、この部屋は基本的にピンクで統一されている。
風水では恋愛運の事を『桃花運』と呼ぶだけあって、ピンク色は恋愛・愛情を司る色となっている。
他にもピンク色の意味は、やすらぎ、リラックス、健康、愛、開放感、幸福感を表し、また、ドイツの哲学者ルドルフ・シュタイナーは生命を象徴する色と定義している。
SD法というメソッドが存在するが、その中では人が何かの色を見た時に感じる印象には共通性があり、その印象を統計によりまとめ上げる方法の事を言う。
それによるとピンクには『幸福・愛情』といった印象を与える色だそうだ。
「愛情、か……」
それがどういった愛情なのかは分からない。俺自身は両親が死んでからそういった物とは無縁の生活を送っていたから、ピンク色はむしろ敬遠しがちな色だった。
逆に岳羽は父親が死んでしまいショックで男に溺れた母親という事もあり、両親からの無償の愛情に餓えているのだろうか。それは分からないし、恐らく彼女自身も無意識的な、言ってしまえば深層心理とも言えるものが絡んでくるから。
ちなみに言っておくと、俺の中では最近はピンク色は好ましい色となっている。彼女が好きだからというのもあるが、俺もSD法の例外ではないんだろう。
誰からの愛情に飢えているのか、その答えは俺自身が一番知っているからあえて口にはしなかった。
ちなみにドピンクな妄想とかピンク色な考え方とは全く別だと付け加えておく。
ベッドに寝かしつけてシーツを被せ、俺は少しの間だけこの寝顔を堪能しておく事にした。子ども特有のふっくらとした頬に触れ、柔らかい髪を撫でる。
元に戻れば決して出来ない事。今の関係では尚更。ではどうしたいか、答えは簡単だった。
元の姿に戻って欲しい。その一言に尽きた。そのために覚悟を決めたのだから……。
「……ん」
小さな、とても小さな声が漏れた。優しく髪に触れていただけだが、どうやら眠りを妨げてしまったようだ。
「あ、ごめん……」
「あ、――――ちゃん」
岳羽は眠いのか、言葉も途切れ途切れに口を紡ぐ。何故五歳の記憶で俺の名前を知っていたのかは気にしない。他のメンバーは誰一人として覚えていなかったのだが――。
俺を見て安心したような表情で微笑んでいる。それでも瞳は半分閉じられており、この時間帯は彼女にとって眠気を誘発させる時間帯だと改めて思い知らされる。
「――――ちゃん」
「なに?」
「大好き、だよ……」
そう言いながら岳羽はそっぽを向いた。その行動に何か、とても小さな違和感があったが、それが何なのか分からない。
恐らく子どもがよく言う『パパ大好き』みたいなレベルだろうと俺の中で納得させた。
だけれど、俺は今のありのままの想いを伝えるしかなかった。覚悟は決めているし、どういう意味合いであれそう言われたのなら、返答するしかない。
「ああ、俺も岳羽が…ゆかりが好きだよ」
「えへへ……じゃあ、おやすみのキスはしてくれないの?」
心の奥底にある違和感が拭えないが、それでも好都合としか言えなかった。最早俺の中で外見的な倫理の問題などアイン・ソフ・オウルしたようだ。
虚空の彼方へ消え去れ!!
「……ああ」
彼女の瞳には俺しか映っていない。その吸い込まれそうなほど深い眼差しは普段は冷静で何を考えているのか分からないと評される俺でさえ理性を無くしてしまう。
おやすみなさいと言わんばかりにベッドに横たわり目を瞑って待ち望んでいる姿を見て、ちょっとだけ罪悪感が出てくる。
そっと閉ざされた目に片手を被せ、俺が何をしようとしているのか分からない様にする。この後の行為を受けて目を見開かれても、それを理解するのに時間がかかるだろうから。
「ん……」
初めは軽く唇に触れるくらいのものだった。恐らく本人は親から寝る前のキスとして定番であった頬にされる位の軽いものだと思ったんだろう。
そのまま時を止めた。彼女の柔らかい唇の感触を堪能したかったし、幼くなっているとは言え自分の好きな女の子との初めてのキスだ。このままでいたい。
数分かも知れないし、ほんの数秒だったのかも知れない。それは分からないけど、俺にとっては長く待ち望んでいたかも知れなかった時間だ。
そのうち少女は体を小刻みに震わせ、俺との行為に抵抗を見せ始める。
「ん……プハッ!」
「……どうしたの?」
「えっと……いきができなくてくるしかったの」
その言葉で理解した。ああ、やっぱりどれだけ年齢が変わっても岳羽らしいなと。ちょっとだけおっちょこちょいで、見ているこちらが彼女から繰り広げられる反応という演目を楽しみたくなるような所が。
「じゃあさ、今度は息が出来るようにしてあげるからね」
「う、うん……」
軽く口を開けててねと告げ、言われたとおりにゆかりは俺の言葉に従う。今度は上半身だけ起き上がらせ、両肩を掴みながら顔を寄せる。その時、一瞬だけ視線が交錯してゆかりは頬を紅く染めたが、気づいていながらも俺は気づかないフリをし、そのまま二度目となる唇を重ね合わせる。
今度は躊躇いがちに開かれた口に半ば強引とも言えるほど俺の舌を挿入する。その際に目は見開かれ、手持ち無沙汰となった両の手は俺の胸をしきりに叩いていたが、その程度で止めるほど昂ぶりを抑える事は出来なくなっていた。
「んー! …ん…ふ…ぁ……」
自分に降りかかるのは背徳感と言う三文字の言葉。見た目幼く、男の『お』の字も知らないような子に容赦無いほどの講義。
官能的なまでに絡みつく舌。それに伴って表面上に現れる解除の様子。やはりエリザベスは事実を言っていたし、彼女が元凶だと改めて思い知る。
徐々に俺の旨の中で丸まっていた幼女は少女となり、俺がいつも見ている姿へと変貌を遂げ、袖口を握っていた腕は背中へと、そして首に回され固定される。
「ん…はぁ……んむ……」
元に戻ったからと言って止めるつもりは更々無い。俺自身理性という回路は既にショートしきっているし、何よりも今の彼女の姿は普段では見る事が出来ないほど排他的だった。
先ほどまで齢五つの少女の服装をしていたのだ。それが今俺と舌を絡みつかせる行為に耽っている彼女は元の年相応の姿に戻っている。
明らかに大きさが合ってない。彼女の姿は今となってがとても小さな服を着ていたため、所々が破けてしまい俺の欲望をかきたてる。
つぅ…と、互いから名残惜しそうに白銀の糸が繋がれていた。
「……好きだ」
同じ言葉であっても、今度は意味が全く違う。呆けた芳情で俺を見ている彼女は自分が何を言われたのか分かってない節があった。
だから俺はもう一度、彼女の目を見て。
「好きだ」
嘘偽りなど無く、俺はありのままの気持ちを伝える。姿など関係なく、それは単なる切欠の一つでしかない。
虚ろだった彼女の瞳は光を掴み取り、徐々に今までの行為を思い出していく。そしてボッと顔を真っ赤にし、自分の様子を確認しながら手は唇を抑える。
サイズが合わなくなったため破れてしまった俺のペルソナであるアリスの服。すまん、今度何か服を買ってあげるかも知れないし、二度と買わないかで裸体のまま召喚するかも知れないし、明日にでもタナトスの合体材料にするかも知れない。
「い、今……」
謝罪なのか突き放すような別れなのかよく分からない言葉を頭の中で思い浮かべていると、ようやく事態を理解した彼女は言葉を発する事が出来た。
「なにを……しちゃったの?」
シーツを被るようにして衣服の乱れを隠しているものの、既に俺は全部を見た以上あまり効果を成さない。
「何って…互いの舌と舌が絡み合うほど熱いキ」
ボスッと何かが顔面に当たる。何かは言うまでも無く、今朝方幼くなった彼女が抱えていたものでもあり、先ほどまで寝るために使われていた枕だ。
「わー! バカ、バカ、バカ、バカ! 帰れ!」
帰れは酷いな、自分だって俺の首に手を回していたのに。
と思っていたけど、今なら視線で人を殺せる位の目つきだったので大人しくなるしかない。
「……ごめん」
大人しくなり冷静に考えてみると最低だ。今更ながら他の誰よりも自分が一番混乱していたんだろうと思い知る。
「お願いだから帰って……」
とうとうシーツを頭から被り、俺には見えないように小さな懇願が部屋の中を反響する。
そうなると今の状況では取り付く島も無く、枕を返しつつ退室する事を選ぶ。
今の心境としては最低だと分かっていながらも後悔はしてない。俺の行動や気持ちに偽りなど無いから。
「じゃあ、その……また明日」
そう言いながら俺は部屋の扉を閉める。
「…もだよ……」
閉ざされる瞬間、中から何かが聞こえたけれど、何を言っているのかは分からなかった。
「寝よう、疲れた……」
俺はそう言いながら二階への階段を下りて行く事にした。
勿論あんな事があった以上そう簡単に眠れるほど冷徹な人間じゃないのも事実だったので、俺が睡魔の世界へ誘われたのは朝方だった。
実を言うと、体が元に戻る直前辺りから記憶は戻りつつあった。だけど、その一方で年相応の記憶と考え方しか持ってなかった。
だから彼女の考え方は幼いままだったけど、彼への気持ちは元の姿の時と同じだった。
「私もだよ……」
彼の告白に対する返答。それこそ彼が部屋を出る直前に発した言葉。
もしかしたら聞こえてしまったんじゃないかと思う一方で、自分の取った行動が全てを物語っているんじゃないかと理解する。
ふと、自分の唇をなぞる様に触れてみる。未だに残る彼の感触。
「キス、しちゃったんだ……」
自分で言っておきながら物凄く恥ずかしくなって返却された枕に頭を埋める。今の顔ならば色づいた赤対決で白ワインとは不戦勝、赤ワインとは激しい展開の末にTKO勝ちになれるほどだった。
その後、ゆかりが眠る事が出来たのは朝になってからだった。
「エリザベス……」
「何でしょうか?」
「先ほどエリザベスの言葉が聞こえなかった部分があったのだが、何と言おうと思ったのかね?」
どことも知れないベルベットルーム。そこでは立場が逆転していると言って良い様な主と従者がいる。
従者の分際で主がマウントからボコボコに殴られようと止めもせず、むしろ助長させるような従者だった。
「それに……の続きですか?」
「ええ」
その答えは一般的かつメルヘンな答え以外の何物でもなかった。
「呪いをかけられたお姫様を助けるのは王子様のキスという定番があちら側には存在していると聞きましたが?」
イゴールの長い鼻が縦に大きく揺れた。