ほろ酔いセレナーデリーダー版



 目が据わった美鶴は半ば脅迫めいた口調で呑めと言い始める。こうなれば最早彼とて口に含まなくてはならない。
「分かりましたよ俺が飲みます」
「大丈夫なの?」
「ああ、昔間違って飲んだ事あったけど何とかなったし。後は頼んだ」
「あんたぁ、戦争行ってもちゃんと生きて帰ってくるんだよ」
 冗談交じりに言い合いながら彼はウォッカを手に取った。こうなりゃ自棄だとアルコール度数が高いと知りながら――。



 その後の事はあまり覚えてない。確か春の世の夢の如く時間が過ぎていったはず。
 頭が痛い、酷く頭痛がする。
 どうでもいいけど『頭痛が痛い』って日本語疑うような台詞を出した友人がいた。
 そんな事を思い出している時、ふと彼は頭痛がするのにもかかわらず、凄く寝心地が良かった。
 幼い頃、一度だけ母親からしてもらったあの感覚を――。
 それでいて今日、昼頃にアイギスにしてもらったものの、凄く硬くて首を痛める直前だったものを――。
「あ、起きちゃった?」
「……あ?」
 目を開けてみるとこちらを覗き込むゆかりの顔があった。
 しかし何かがおかしい。あくまでも何かなので、その違和感に気づくのに数秒かかった。
 突如として理解した。自分が今どんな状況なのかを。それが分かったや否や、飛び起きて謝ろうとした。
「ああもう、君は今まで酔い潰れてたんだから少し横になってなさい」
 そう言われ額に指を押し付けられて俗に言う頭が動かない状況にされる。
 椅子に座って上を向いている状態で額を指で押されていると、頭が動かないから体全部が動かないように。
「いや、でも、こんな状況を他の奴らに見られたら……」
「大丈夫、もう他の皆は荒垣さんと真田先輩が担いでいったから。後はその間も飲んでいた君だけだよ」
「…真田先輩達は?」
「もう寝ちゃったんじゃないかな? あの時『こいつが目を覚ますのを待つのは無理だ、先に寝ている』って言っていたし」
 本当に寝ているといいけど、彼は素直にそう思った。
 これで実は寝てませんでしたお前ら寮のロビーで何をしているんだ処刑だのコンボをされたのではたまったものじゃない。
 ここでおさらいをしておこう。二人は今どんな体勢なのか。
 今ゆかりは彼を覗き込む形で見ている。真下に、膝の上を。
 彼は酔って寝ている間に膝枕をされていた。
「…そっか」
 彼は動じる事なく、今自分が置かれている状況を享受している。
「あのさ、そろそろ足が痺れてきたんだけどさ、起き上がってくれないかな?」
「自分からしておいてそれは無いんじゃないかな? 謹んでお断りします」
「はぁ…別にいいけど」
 どうやら諦めた様で、膝に横たえている彼の頭に手を乗せると天井を見上げ軽く溜息をつく。
 少しの静寂の後、彼はこんな事を呟き始めた。
「俺達ってさ……」
「ん?」
「俺達ってさ……家族だよね?」
「え? …え? えええええ!?」
 家族。この言葉を呟く人間と聞こえた人間とでは大きな認識の違いがあったようで、ゆかりはこれでもかという位挙動不審となる。
「順平が頼りないというかどこか不安な兄貴でさ、荒垣さんは口は悪いけど頼りになる兄、天田は最年少だけどしっかり者の弟」
「あ…そっちの家族ね」
「それで風花とアイギスはどこか天然気味の妹で、真田先輩と桐条先輩はお父さんとお母さんって感じでさ、後一家のマスコットのコロマル」
「順平が兄っていうのはちょっと説得力無いよね?」
 思わず彼もその通りだと思い二人して笑ってしまう。
 その笑顔を見て、彼はふと思った。

 ああ、俺はこの笑顔を取り戻す為に戦ってきたのかな、と。

「でもさ…」
「なに?」
 彼にとっての家族の中で一人だけ名前が出てない事に唇を尖らせる。
「私だけ名前が無いってのはどういう訳?」
 不満を聞いた彼は、ああなんだそういう事かと納得しながら微笑んだ。その笑顔にゆかりは弱く、どうしても直視する事が出来ない。
「だってゆかりは俺の家族と言うよりも奥さんだし」
「ちょ、ちょっと!? そんな恥ずかしい事…」
「恥ずかしい事? その後は?」
 答えは分かっている。こうやって口篭るという事は今までの経験上否定的ではないと。
 それをあえて言わせる事に意義がある。
「その後は何かな? 教えてくれないとちょっと不安だな」
 未だもごもごといいそうで言わない彼女に追い討ちをかける。
「え、え〜っと、嬉しいと言えば嬉しいんだけど……その、恥ずかしいと言うか何と言うか…」
 形勢は逆転し、既に彼のペースにハマりこんでいる事を彼女は知らない。
「嫌ならごめん…気を悪くさせたね…」
 策士ここに極まれり。これも酒の力か、それと素なのか。
「嫌じゃないって! 本当に嬉しいんだから!」
 彼の頭を膝に乗せたまま、顔を真っ赤にして慌てふためく表情を見て、思わず笑みがこぼれる。
「な、何!? そんなに私をからかって楽しいわけ?」
「まぁね。こうやって話しているだけでもさ、全部終わったんだなって感じられるんだ」
「……そうだね。一年間お疲れ様、私達のリーダー」
 未だ酔いが残る頭の中で、彼は一年間を振り返るように静かに目を閉じる。
 二度と瞳が開かれないなんて事は無いけれど、ここ三ヶ月は肉体的にも精神的にも酷く疲れた。
「でもさ、一つだけお願いしてもいいかな?」
「何?」
「本当に足の感覚が無くなっちゃったんだけど…」
「ああ、ごめんごめん。でももう少しだけこの感触を堪能してもいいかな?」
 ちょっとだけ怒りの表情を見せた彼女の顔を見て、さすがに彼は諦める。
「イタタタタタタ…」
「寝ていたから分からないんだけど、どれだけ膝枕をしていたの?」
「う〜ん、大体一時間くらい?」
 彼が目を覚ましてからまだ10分位しか経ってない。
 それまで彼女は自分の膝の上ですやすやと眠る自分の顔を見続けていたと思うと、なんだか気恥ずかしくなる。
「うぅ〜、足が〜、足が〜」
 血の通う感覚に悶絶を続けているゆかりを見て彼は考える。
 そして影首縛りの間に一瞬で十手先を二百通り思考する普段はやる気の無い策士のごとく、酔っているからこそ出来る荒業を瞬時に思いついた。
「あー…じゃあ俺が運ぶよ」
「え? でも普通酔っている人に運ばれるって……」
「足が痺れて動けないんでしょ? ほらほら」
 そう言いながらいわゆるお姫様抱っこの状態で持ち上げていく。
 酔っているから落とさないようにと不必要なまでにしっかり持ち、お互いの顔と顔が触れ合いそうになる。
「ちょ、ちょっと! 顔が近いって!」
「ほら、落としたら悪いじゃん。だからこうやってしっかりと捕まえてなくちゃね……」
 そうやって恥ずかしさから暴れる直前で、周りの事をすっかり見てなかった彼女は違和感に気づくことなど無かった。
「さてさて到着」
 一番奥の部屋に運ばれてからやっと気がついた。
「って、ここ二階でしょ! 私三階だから!」
「はいはいちょっと静かに、他の人寝ているんだから」
「こんな状態で静かにできるか!」
 じゃれ合いながら階段の不自然さに気づかせず、なおかつ自然に自分の部屋まで運び出す。
 もう既に彼の部屋にいるのだが、彼女とて形だけでも抵抗しない訳にも行かないので、思わず体をジタバタとし始める。
「ちょ、ちょっとこんな状態で暴れると落ちるぞ」
「こういうのはせめて酒に酔った勢いとかじゃなくてさ……」
「じゃあ素面なら良いのか」
「え……?」
 あれだけ酒を飲んだのに、まさか素面なんて言葉が出てくるとは思わなかった。
「…と言うか、酒に強い体質なのか殆ど酔いも醒めていたんだ」
 これが泥酔の延長なのか、それとも本当なのかどうかは彼女には分からない。
 問題は既にベッドの横たえられているこの状況だ。
「せ、せめて制服から着替えさせてよ!」
「どうでもいい」
「よくない! と言うかいくらなんでも強引じゃない!」
 いつもの彼らしくない。そう思うとやはりまだ酔いが残っていると分かる。
「……」
 突然彼は黙ってしまう。怒ったのだろうか? そんな事を考えていると――。
「…眠い」
 突然彼の腕の力が抜け、ゆかりの上に本当の意味で覆いかぶさる。
「え、あ…ちょっと!」
 彼の拘束から抜け出ようとするも、脱力した成人男性を押し退ける事など不可能に近かった。
 頬と頬が触れ合うくらい近づけて眠っている彼を見て、どうとも言えない気分になりながらゆかりはこの状況を享受せざるを得なかった。
「…嫌じゃないからいいけどさ」
 まるで抱き枕のような状況であるが、彼に抱きしめられながら安心感を胸に彼女も眠る事にした。

 ・

 ・・

 ・・・

「…眠れないよ、こんな状況で」
 そりゃそうだね。でも時は無常にも過ぎていくのだった。
 時は、待たない。



「……」
 多少二日酔いが残っているものの、比較的楽に目を覚ます事が出来た。
 ただ、後半はあまり記憶に残ってない事が気がかりだが……。
「……?」
 まだ目が完全に開いてないが、自分は抱き枕でも誰かから借りたのだろうか。そんな呑気な事を目を瞑ったまま思い浮かんでしまう。
 よく分からないが凄く触り心地がいい。あちこちを触ってみると、まるで人肌のように感じる。
 人肌……?
 しばし熟考。結論から言えば考える事を止めた。
 男だったらもういないけどイゴールの所へ逝く覚悟だが、この柔らかさから見てもアイギス、男共、コロマルでない事は把握する。
 いや、それはそれでヤバいが、隣に居るのが誰か理解した直後、それ以降は何も考えなかった。
「…ねぇ、ちょっと」
 うろたえる心配など無い。
「起きているでしょ?」
 もう少しこの感触を堪能したいから返事はしない。寝たフリを続行する。
 頭を撫で撫でしたりギュッと抱きしめたりするが、それは寝ている時の夢を見ていたと思えばいいだろう。
「え、や、ちょ、やぁ…あ…」
 そんな艶っぽい声を出されてしまうと彼としても何もしない訳にもいかない。
「絶対起きているでしょあんた!」
 怒り半分照れ半分で頭をドツかれ、さすがに寝たフリも出来なくなって仕方なく目覚める。
「…ああ、おはよう」
「おはようじゃないでしょ、まったく…」
「いつから起きていたの?」
「…寝てないわよ、この目を見れば分かるでしょ?」
 どれどれと彼はゆかりの目を見て、思わずそっぽを向かれる。
「自分から目を見ろって言ったじゃん」
「だ、だって恥ずかしいじゃない…バカ……」
 彼はやれやれと肩をすくめ、ふと状況を思い出す。

 今、自分達はベッドの上で座っている。

 当然だが部屋には他に誰もいないし、恐らく昨日の惨状から見てもしばらく目が覚めないだろう。

 現在朝の六時。



 順平はいつも言っている。今だ! ヤッちまおうぜ!
 明彦はいつも言っている。この瞬間を待っていた! 仕掛けるっ!!
 天田はいつも言っている。チャンスですよ? イキましょう!
 荒垣はいつも言っている。今ならボコれる。ヤッとくか?
 ヤバいですよボコしは。俺はエロスは抵抗感無いけど暴力的表現はアウトオブ眼中なんです。
 コロマルはいつも言っている。ワンッ、ワンッ!!
 分からないよ。

→○ ピッ
 ×

「ゆかり」
「え? ってちょっと!?」
 今度は酔いとか関係なく二度目の押し倒しとなる。
「やー、まぁ、そのなんだ、うん、我慢できない」
「で、でも! ほら昨日から皆シャワーとか浴びてないから汗臭くなってるけど…」

 確かにそうだな
→むしろそれがいい ピッ

「バカじゃないの!? ってか本当にバカじゃないの!?」
「罵られるのも結構……うん、桐条先輩の言葉を借りるならブリリアント」
 何でこんな人を好きになったんだか本当に分からなくなったゆかりがそこにいた。

 自分の部屋で長い時間を過ごした。