ほろ酔いセレナーデゆかり版



 目が据わった美鶴は半ば脅迫めいた口調で呑めと言い始める。こうなれば最早彼女とて口に含まなくてはならない。
「わ、分かりましたよ…君はどうする?」
「俺はパスするよ。誰かが素面じゃないと収拾が付かなくなるから」

 数十分後――
「…地獄の始まりだ」
 彼は一人呟く、その言葉を聞く者はいない。
「い〜っちば〜ん、らけばゆかり、一気飲みしま〜す!」
「いえーーーーー!」
 …もうここは破滅に繋がった。うん、彼と一緒に飲まなかった人間はこの中で一番酒に弱かった。
 彼女の前には空になった日本酒が何本も転がっている。中には美鶴から強引に奪った物さえある。
「ゆ、ゆかり…お前飲みすぎでは…」
「あっれ〜? 美鶴先輩が飲めって言ったから飲んでいるんじゃないですか〜」
 あえて言おう。

 トラはここにいる。

「おい、テメェがあれを何とかしろ」
「んな事言われてもあの様子じゃ…」
 さっきまで優勢だった美鶴に強引に酒を飲ませるにまで酔っているゆかりを止めろと荒垣は言う。
 正直無茶だと彼は一人思った。彼とて少し酒が入っているが、多分この中で一二を争うほど意識が覚醒している部類だ。
 ちなみに順平は既に酔いが回ってダウン+リバース。天田は疲れたのか寝てしまい、コロマルは彼女が飲む少し前から鼻提灯をこしらえている。
「ア、アイギス。どうしよっか?」
「戦略的撤退を要請します」
「しかし回り込まれた」
「飲まないのアイギス?」
 さらばアイギス、君の勇姿を忘れはしない。
「風花、どうしよう…ってあれ?」
「こいつならさっきから寝ているぞ」
 よく見ると荒垣の上着が無く、ソファーの上で横になっている風花にかけられている。
「真田先輩は…無理ですね。囃し立てる立場になっている」
 さっきの『いえー』は実は明彦だった。順平は既に寝ていたので残ったのは彼しかいない。
 原状を把握すると三年生は全員意識が覚醒、しかし美鶴が飲まされている酒によってダウン直前。ゆかりはトラ、彼は普通。それ以外は全員ダウン。
 OK理解した。どう見てもお開きのタイミングじゃないか。
「と、とにかくこの惨状じゃどうしようもない! これにてお開き! 各自解散……って訳にも行かないので、荒垣さんと真田先輩も寝た人を運ぶのを手伝ってください」
「ようし分かった。俺に任せろ。プロテイ〜ン、パワーーーーーー!!」
「アキ、お前寝ていろ」
 荒垣の当身で強制的に寝かしつけられた明彦は、リバース寸前状態だった。
 今この場で真っ当な意識を保っているのは彼と荒垣だけだ。残った女性陣も飲まされすぎで逆にダウンとなりはじめた。

「えぃよいしょ……」
 多少酔っているがまともである荒垣と協力して殆どのメンバーを部屋に運び、さて最後の人だと考えた時、ふと思い出した。

 あれ? 荒垣さん風花を運んでから一階に降りてきてないんじゃないの?

 ……どうでもいい、多分自分の部屋に直行したんだろう。

 その頃の荒垣――
「…助けろ」
「ふにゃぁ……」
 ぬいぐるみよろしく捕まってました。

「さて、最後は……」
 最後の最後で酔っ払った挙句、一番加害的であった彼女。
「うう…頭いたい」
「どれだけ呑んだの?」
「わかんない……」
 部屋に戻してもちょっと危険と判断され、結局彼がある程度落ち着くまで介抱をする事となった。
 キッチンから水を持ってきて、頭を抱えているゆかりに差し出すと、彼女はそれを受け取り飲みはじめる。
「…ふぅ」
「落ち着いた?」
 ゆかりは大きく頷き、危うくコップの水を溢してしまう所だった。

「暑いよ」
 唐突に彼女は一言漏らす。確かに今は三月なので、これから暖かくなるが、まだ冷え込む時期だ。
「飲みすぎでアルコールが回っているんじゃない? そろそろ寝たほうがいいよ」
 そう言って彼はふらつきながら立ち上がろうとしている彼女の手を取り、二階へ登ろうとしていた……。
「やっぱり暑い! 脱ぐ!」
「え゛!?」
 止めようとしても時既に遅かった。ゆかりは勢いよく自分のニットのカーディガンを既に脱ぎ始め、ワイシャツ一枚となっている。
 暑いと本人が言っているのが分かるほどワイシャツは体にベッタリと張り付き、ほんのりピンク色の何かが見えたが、この際どうでもいい。
「はいちょっとストップ。お願いだからそれ以上脱ごうとするのは止めようね」
 お前空気読めとどこかの誰かが言っているがやっぱりどうでもいい。
「えー、でも暑いんだけど……」
「うん、だったら部屋に戻ってからね、俺は素面だったからこれから後片付けとかあるんだし」
「じゃあ連れてって」
 酒が入っているのか、いつもより幼く感じる言動のゆかりは床にペタンと座った状態で彼の袖を引っ張る。
 それにヤレヤレという動作をしながら彼女の手を引っ張ろうとしたが、いつまで経っても立ち上がろうとしなかった。
「あのさ、それじゃ部屋に戻れないでしょ?」
「おぶって、それかだっこして」
 負ぶう。つまり背負う。年頃の女の子を背負う。それ即ち。

「あの、背中に当たってんですけど」
「あててんのよ」

 OK把握した。これは駄目だ、破壊力が強すぎる。
 仕方ないと彼はゆかりを抱っこする事にした。抱っこ、そう抱っこで。
 そういえば1960年代にだっこちゃん人形なんてものが流行ったよねと思い出す。

 これが俗に言うお姫様抱っこですか。なるほどなー。

 そんなアイギスの台詞が聞こえてきそうな空間だった。
「その…ゆかり、なんだ。くっつきすぎじゃないのかな?」
 階段を一歩一歩昇る度に彼の鼻先にゆかりの髪の毛がふわりと触れる。夜風が香るシャンプーの匂いを運び、その度に頭がくらくらする。
「えへへ…だってお姫様抱っこなんて夢だったんだもん」
「……凄い酔っているね」
「もう、なにそれ? 私が素面だったらどうなの!?」
 さっきまで一升瓶をラッパ呑みしていたような子に素面など語ってほしくなかった。
「どうって言われてもね…とりあえず着いたよ」
 そんな問答を行っていると、気が着けば三階一番奥の部屋である彼女の部屋の前まで辿り着いていた。
「中まで連れてって」
「いや、それはさすがにまずいんじゃないだろうか」
 既にその道は現在隣の隣の部屋にいる荒垣さんが通っている事を彼は知らない。
「連れてってよ」
 そう言いながら今自分は降りないんだという意思を表示するかのごとく、ゆかりは彼の首に手を回して無理やり掴まっている。
 こうなれば最早彼とて引き剥がす事も出来ず、仕方なくそのまま部屋に入るのだった。

 次に彼が部屋を出るのが朝を過ぎてもかなり後になろうとはこの時思いもしなかった。



「…ふぅ、やれやれ」
 仕方なく、あくまでも仕方ないと彼は心の中で呟きながら、酔って抱きかかえている彼女を部屋へと運ぶ。
 本来であればこれでベッドにでも横たえて後片付けをしなくてはならない。さぁ、帰ろう。

 ムギュッ、ドサッ

「…あのさぁ、惨劇をどうにかしなくちゃならないんだけど。特に順平のリバース物、次の日酸っぱくなるから」
「どうでもいいじゃない」
「良くない良くない」
 お姫様抱っこの状態でお姫様を横にさせるには、投げるわけにもいかないのでベッドの前でしゃがみこんでゆっくりと降ろすしかない。
 当然だけど少しでもバランスを崩したり、相手が手を離してくれなかったりすると自分諸共ベッドに吶喊する。

 ウラ○少尉、吶喊します!

 デンドロお疲れ様です。
「…とりあえず手を離してくれないかな。その…困る」
「どう困るの?」
 未だに手を離してくれず、ベッドで重なり合うように横になっている状態は青少年に悪影響を及ぼす。
「いや、まぁ、その、ほら…我慢出来なくなる」
 そっぽを向こうにも首に巻きつかれている両腕で半ば無理やり下方向、つまりゆかりの方を向くしかない。
「我慢…できなくていいよ」
「え…?」
 さっきまで虚ろな目をしていた彼女は一変して、真面目な顔でこちらを見る。
「だって…私は、私達はずっと忘れちゃってたから」
「……この一ヶ月間の事は気にしてない」
「嘘」
 酔いがどこへ飛んでいるのかは分からない。ただ、彼女が辛そうな目で彼を見つめ続けていた。
「俺は…大丈夫だから、だから気にしなくてもいい」
 半分だけ本当で、半分だけ嘘。それが今の彼に唯一出来る事。例え見透かされようと罪悪感だけは与えたくない。
「お願いだから…もうリーダーじゃないんだから一人で抱え込まないでよ」
「でもさ…うぉっ!」
 言い訳がましいと受け止められたのかそれは分からない。分かっているのは背中に回された力が強くなり、そのまま倒れこんでいた事だけだった。
「ごめんね……本当に……」
 今の彼には彼女の顔が見えない、ただふくよかな体に埋もれているしかなかった。
 その間、小さく体が震えていたが、彼を再び受け入れる事への恐怖ではなく、自分の犯した罪への贖罪だった。
 だから彼はしばしの間、何も抵抗する事無く震えが止まるのを待ち続けた。

 気が着けば彼を拘束する手の力が抜けていた。それと共に彼が埋もれている彼女の胸から規則的な運動が始まっていた。
 それで全てを悟った。悟ったが故に彼は静かに拘束から抜け出る事にした。
「……寝ちゃったか」
 やっと抜け出た彼が見たのは泣き疲れ寝ている彼女だった。少しだけ頬に残る涙の跡が彼女自身が架してしまった業の深さを知った。
 ただ何も言わず涙を拭う。起こさないようにそっと。
 本音を言えばこの一ヶ月は孤独で辛く、誰にも頼れない一ヶ月だった。
 アイギスが覚えている事をもっと早くにでも知っていればまた違っていただろうが、それはもう過去の話だ。
 知らない事故彼女に傷つけられた事もあった。ムーンライトブリッジの編みぐるみを返してと言われた夜は自分の部屋から嗚咽が聞こえなくなる事は無かった。
「もう、大丈夫だから…」
 でも今は違う、自分は孤独ではない。子どもの頃両親を亡くしてから手に入れたこの寮のメンバーという家族。それがあるだけで幸せだった。
 そう思いながら彼の指は手櫛となり、起こさないように慎重に髪に触れる。ふわっとした触り心地の良い手入れがなされている髪だ。
 ゆっくりと、それでいて壊れぬように――。
「…う……ん」
「あ…」
 不意に寝返りをうったゆかりは、髪に触れる彼の手を掴んでしまった。
「参ったな、このままじゃ部屋に――どうでもいいか」
 動けずとも一人納得をした彼は、起きるまでこのままにしておこうと結論を付け、多少寝心地は悪いが椅子に座ったまま眠る事にした。



 暖かかった――。

 ずっと一人だと思っていた。

 10年前からこの暖かさを感じた事は無かった。

 親戚中をたらい回しにされてから、ずっと音楽で世界を遮断し続けるしかなかった。

 皆は人当たりの良い活発な子とよく言っていた。

 皆は何を考えているのか分からないと言っていた。

 あの時、ペルソナ使いになるまで、ううん、なってからもこうなるとは思ってなかった。

 あの時、封印した記憶でもある10年前に遭遇した戦いからこうなるとは思ってなかった。

 身も心も許せる誰かがこの手の届く範囲にいるなんて事は一年前は考えもしなかった。ずっと一人で生きていくと誓っていたから――。

 まさか自分がこれほどまでに誰かを愛しいと思う事は、人に興味を持ってなかった一年前では考えられなかった。

 彼の人間を垣間見て、強いところ、逞しい所、頼れる所、弱い所を見て愛しいと思った。

 自分が持ってなかった心の綺麗な所と決して綺麗とは言えない所両方を併せ持つ彼女の心を見て、守るよりも共に歩む方が“らしい”と思った。

 これからがどうなるかなんて分からないけど、多分、いや絶対に彼と一緒なら何でも大丈夫だと思う。そうやって信じる事が新しい一歩へと繋がるから――。

 未来への不安とかはどうでもいい。すぐ傍で眠る彼女といればどうにかなると確信が持てるから――。


 二人の考えが夢の中で一致した時、早朝の鳥のさえずりが二人を現実へと覚醒させた。

「……うっ」
 先に目覚めたのは彼からだった。
 ずっと手を差し出した状態で椅子に座ったまま眠っていたからか、体調が万全とは言い難い。
 だけど、何故かは知らないけどいい夢を見た気がする――それだけは確かだった。
 既に腕の拘束は外れ、彼女はこちら側からは見えない向きで寝息を立てている。
「…おはよう、とは言えないよな」
 恐らくまだ眠っているだろうと思い自分の腕時計を見てみる。まだ朝の六時にもなったばかりだ。
「日曜日か。多分皆二日酔いだろうな……」
 一人だけ素面だったため、ある種の疎外感を感じながら彼は立ち上がる。
 未だこちら側を向かない彼女を見て、ちょっとだけ不満に思った彼はそっと近寄り本当に寝ているのかを確認する。
 耳を澄ませば規則的な呼吸音しかせず、それで諦めが付いたのか、足早に部屋を立ち去る――。



 事も無く、もう一度近寄りおはようのキスをしてからでも遅くは無いだろう、そう思って未だにこちらを向いていない彼女の頬に顔を近づける。
 あと少しで接触し、さぁその後帰ろうと頭に過ぎっていた時だった。

 突然こちら側に寝返りをうってきた。
 寝返り、そう、寝返りである。
 ちょうどゆかりの頬だった場所が、パックなど手入れが施されていて柔らかく水気を帯びている唇へと――。



「……もしかして寝たフリをしていた?」
「うん…もしかして怒ってる?」
「怒ってないけど、起きているのならちゃんと起きているって言ってほしかった」
 ちょっと騙された彼はばつが悪そうに言葉を紡ぐ。
「ううぅ、ごめん」
 眠る前とはうって変わって、いつもの彼女らしい愛嬌交じりの謝罪が述べられる。
「どうでもいい…とはちょっと違うけど、ぜんぜん気にしてないし、むしろ嬉しかった」
 ベッドの上で座り込んでいるゆかりはあたふたと慌ててしまう。どうも彼の直球の台詞に弱い。
「う…あ、あるが、ありがとう…」
「それ、去年の夏祭りの時もそんな事言っていたよね」
 追い討ちをかけるように言われ、思わず二人で笑い合ってしまう。その笑顔は去年まででは到底考えられなかったほど安堵に満ちていた。
「まぁ、それはともかく本格的に後片付けしてくるよ、二日酔い気味でまだ寝たほうがいいよ」
「うん、分かった。それじゃおやすみだけど……」
「ん?」
 椅子から立ち上がり、恐らく誰も起きてないであろう三階廊下へと続く扉を開けようとした際、語尾に何か続きがありそうな感覚があったので振り返ってみる。
 彼女はこちらを潤んだ瞳でジッと見ている。その瞳に吸い込まれるように、彼はまた彼女の元へと立つ。
「どうしたの?」
「あのさ、その…もう一回だけいいかな?」
 何がもう一回だか分からない。そんな顔をしていると、彼女は静かに目を閉じる。
 その際、立ち尽くしている彼を見ながらの閉眼だったので、自ずと何を欲しているのか分かった。
 さてどうするか、そんな答えは選択肢が出るまでも無く決定されていた。
 不意打ちなどではなく、互いの情愛が確かめられる口づけ。
 自分の手を顎が乗るようにし、そっと彼の唇へと導きはじめた――。

 彼は大切な人が居る。これからずっと共に歩む人を――。
 
 ああ、幸せってこういうものか――。

 それが分かった時、他の事は何もかもどうでもよくなり、彼はそのままの体勢でベッドへと倒れこんだのだった――。



 あなたに大切な人はいますか?