【闇】
「エレボス、俺は……」
「言うな」
目の名前で石化している、本来なら敵対しているが気の遠くなるほどの長い年月が、俺とこいつの関係を微妙に変えてしまった。
封印は――優也は石となりながらも涙を流し続けていた。こういう時、概念でしかなかった俺はこういう時の無力さを思い知る。
確かに俺は妻をこの男によって封印されているが、二度と会えない訳ではない。扉の向こうからは確かに妻であり兄弟がいる事が肌で感じる。
だが優也は違う。俺たちが見た記憶は既に気の遠くなるほど長い年月が経っていた。そこには最早かつての面影など欠片も存在してない世界がある。
一億年、この星が出来てからまだ四十七億年というこれまでの年月を考えるとほんの一瞬でしかないかもしれない。
だが、その間に水だけだった星は有機物が出来、そこから生物が誕生、地表は大きく形を変えた。徐々に陸へと上がる生物も増え、そこからまた気の遠くなる年月が経った。
そうだ、恐竜が蹂躙闊歩していた時代は俺と言う概念も、ニュクスと言う概念も存在する必要が無かった。各々が自分が、家族が種族が生きる事に対して全力で前に向かっていた。
いつからだったんだろうか、俺たちのような存在が――優也と言う犠牲が必要となった時代は?
「お前は生きた。生きて生き続けて、自分を犠牲にしてでも大事にしたいと願った人を守れた」
「ああ……」
「そしてその想いは、願いは届いた! 分かるか! お前がいつもどうでもいいと言っていたのに、一番真剣になった想いが届いたんだぞ!」
「だけど! だけどそれが原因で今を縛り付けているんだぞ! ニュクスだけじゃなかった……俺が封印したのは彼女の心だった!」
「違う!」
何でどれだけ離れてようと想いあえる心が尊い事を知らないんだ。俺らは結構長い年月が経っているから、倦怠期という奴か。いわゆるツーカーの関係になりすぎて関係も徐々に廃れてきているって言うのに。
いや、ここで愚痴を言っても僻みにしかならない。
「だけどこのままじゃ彼女は前へ進む事が出来ない……」
違う、こいつは肝心な事が分かってない。
「俺が……」
言うな、それ以上は。
「俺がいなければ良かったのに……」
その言葉を聞いた瞬間、俺は既にそれを行っていた。例え効果が無いと分かっていても、半ば惰性で今までやっていた所があっても、今のは久々に、何千年ぶりの本気に想いっきり殴った。
「……何をやっている?」
「お前を殴った」
「そんな事をしても……」
分かっている。分かっていてもこの究極的な馬鹿は殴る価値があった。
「お前、また手が……」
「べろんべろんだよ、ああ痛い痛い」
そうやって手をひらひらさせていると、心なしかこいつの表情が落ちた気がする。勿論コイツは石化しているから俺の知る由も無いんだが。
「むしろあれだ、心が痛いって奴だ」
指の痛みならどうせすぐに治る。だけど、不本意でもこいつを殴ってしまったって言う胸糞悪い結果が残る。妻と会うためにこいつにアイアンクローをした時とは次元が違う。
「確かに彼女は今後再婚……この場合は初婚も無いままシングルマザーであり続ける人生を送る。だがそれはあくまでも本人が心の底から納得をして出した答えだ。俺ら死者や概念には導けない結論だ」
あの時の寮の騒動は納得をしたわけではない、そうだと思い込んだ末に深層意識が拒絶したようなものだ。
未だに考えがまとまってない優也の奴を見かねて、俺はこんな提案をする。当然そんな芸当が出来るのは神様レベルの俺だから。
「行ってこい、待っててやるから」
唐突に呟いた俺の意味が分からないのか、優也はきょとんとした顔になった。
「行ってこいよ。向こう時間一日だけなら俺もおとなしくしてやる」
「そんな事を言ってどうせ封印を」
「んな訳あるか!」
思わず叫んでしまった。奴はこの気が遠くなるような時間で何が大切か、何を選択するのか忘れてしまったのか?
「行けってんだ。俺だって空気を詠んでいる、だからな」
自分の使命と自分の気持ち、それは相反するものだし、もしも後者を選べば何の為に一億年以上もここにいるのかわからなくなってしまう。だけど、会いたいと願う、愛する女の下へほんの少しでも自分の存在を伝えたいと、今でも気持ちは変わらないと。
「ま、妻と会えないのはちったぁ寂しいが、それに関しては仕方ない」
「何故だ?」
俺たちは概念であって、絆という枷になるけど人々の結びつきを必死に繋ぎ止める素晴らしいものを持ってないから。
「「いいか、俺がこんな奇特な事をするのは他ならぬお前のおかげだ。かなり長くなった時の中で、お前は俺に暇潰し程度に語りかけてくれたんだろう。それでもだ、俺はお前の話を聞いて少しずつ今の自我を持つようになった」
そんな一年とか短い期間で人間の心を持てるほど単純なものじゃない。奴は何百年も何千年も何万年も俺に語り続けてくれた。
「その功績を少しでも還元したいんだよ」
「だが……」
「言っておくが一日だけだ! それ以上経ったりしたら容赦なく俺は扉を開けるからな!」
多少考えていう時間があったかもしれない。だが、優也は俺の厚意に甘えてくれた。
「すまない……」
優也は一筋の涙を流してくれた、こんな敵対関係の俺に――。
「へっ、いいって事よ」
優也の奴は一日だけと言う短い期間だが過去に戻れた。俺は約束どおり奴を待つため、扉を開けない事にした。
扉の向こうじゃ妻が開けようとするが、俺は扉を背にして座る事にした。
それが約束――優也との約束だ。
なあ、俺は間違っているのか? ここで奴との約束なんてすっぽかして人間を滅亡させる方が楽なのかも知れない。
だけど俺は死という概念なのに、少しだけ人間の生きたいと思う気持ちに期待をしてしまう。
現世を生きる女と、その女を愛するが故に永遠を生きる事にした男。
「なあニュクス。少しは人間って素晴らしいと今なら思うぞ。十年間もお前の一部も優也の中にいたなら分かるよな?」
妻が何と言うのかわからない。だけど、少しはな。
さて、ちょっとだけのんびり眠るとするか、約束って奴を守るためにな。
どうせ俺たちにとっては一瞬だからな。