佐倉桜と言う少年は、家事一般に明るい。
それは別に、これまで世話になった家で強制されたが故に習得した技能……という訳ではなく。
お世話になっているからこそ、早く家を出るべきだと思い、やがて経験するだろう一人暮らしの為にと覚えたスキルだった。
当然、彼の家事におけるスキルは寮の仲間達も知り及んでいる。
食事や家事は、当番制で回っているのだから。
常日頃、あの冷静で無表情を保つ彼の顔が、フライパンを振る時、彼が調理した料理を仲間が美味しそうに食べるのを見る時、彼は少しだけ微笑むのだ。
誰もが理解していた。
彼は家事が好きで、本当は表情を出すのが少し苦手なんだ、という事を。

そしてとある夏の終わり頃。
大型の台風が直撃した事で、月光館学園の文化祭が中止したあの日、そう、あの雨のカーテンで月の光が遮られた淡い黒の夜。
それは佐倉桜という少年が月光館学園学生寮の住人達にとって、絶対領域の神となった記念すべき伝説の幕開けだった――

《メイドさんブルース》
P3二次創作SS

なんで、こんな事に……
桜は震えながらただいつも通り食事を作り続けた。
そう、いつも通りに。
それなのに、違う。
キッチンの外からは無数の――実際にはそう多くない筈なのだが――視線。
そう、いつもと違う。
空気と言うのか、雰囲気と言うのか。
いや、匂いだった。
これは日常の象徴たる月光館学園学生寮の常の匂いではない。
どこか古ぼけた、でも優しい匂いのするいつもの寮が、今日に限りまるでタルタロスボス生息エリアの様に、重く濁った匂いを放つ。
手で振るフライパンが、重い。
味見をしても味がしない。
桜は、それでもただ震えながら調理を続けた。
黒を主調とした英国風メイド服を身に纏い、背後から迫り来る恐怖――貞操の恐怖と戦いながら。
彼はただ黙々と料理を作り続けた。
メイド服を纏って。
何度でも言おう。
メイド服を纏って。

さて、こうなった経緯は何であったか。
それは不幸の連続であり、偶然の連結に過ぎない。

台風が上陸し、月光館をその暴風圏におさめたのは夕方辺り、所謂帰宅、下校の時間であった。
そろそろ台風が此方に来る事を知っていた彼は、当然傘を用意していたが、偶然帰宅途中に出会った同じ生徒会の小田桐が傘も差さず雨に打たれるままにされていたのを見て、傘を譲った。これがまず第一の不幸である。
そして第二の不幸は、寮に帰って濡れた制服を洗濯機に放り込み、よく確認もしないまま別の洗濯機に入っていた洗濯物と同時に洗濯した事。
彼はそのままシャワーを浴び、順平が持ってきてくれたタオルで体を拭いていたのだが、その途中でやっと気付いた。
自分の失敗に。

普段着は、あったか?

不幸である。
寝苦しい夜が続く余り、彼は服を一斉に洗濯に出した。
冬服は湿気を帯び匂いが酷かったのでクリーニング。
前日のタルタロスアタックにおいて着ていた制服は、相次ぐシャドウとの戦闘でボロボロに。
新しい制服は現在注文中。
スペアの制服は、今や洗濯機の中で一人踊り狂う遠い存在。
最後の希望にと、寝巻きを考えたが。
夏の寝巻きはシャツ一枚とトランクス。
男子寮ならそれも許されるだろうが、此処は共用の寮である。
ゆかりや風花、美鶴の前でその格好をするような常識無しではない。
恥を忍んで順平、そして明彦に服を貸してくれと頼んだが――

「すまん……俺もこれ以外は洗濯中だ」
「わりぃ、俺もだわ」
台風による長期の休暇を頭に入れていた彼らは、美鶴の判断もあって用の無い服を全て洗濯に出したらしい。
少なくとも、乾くのは明日の朝以降。
乾燥機が無い事が、何よりも悔やまれた夕方だった。

さて、その話が女子達にまで伝わり、それは更に不幸を加速させる。
当然女子達も同じく、用の無い服は洗濯、及びクリーニング中だ。
何せ夏である。しかも台風が来る前の、湿った空気に触れた服。
綺麗にしたいと思うし、湿気た匂いをどうにかしたいと思うのも、女性なら無理ない。
ただ女性達は男子達と違い、服に余裕を持っていた。
だが――それは女性の服だ。
言うまでも無いが、桜は男である。
彼女達には差し伸べられる手は無い。
(途中アイギスが一式アイギス装甲とか持ってきたが、それは無視。)
が――
が、である。

文化祭。中止。弓道部。罰ゲーム。サービス。順平大はしゃぎ。お手上げ侍。馬鹿じゃないの……? ……。 ってか、馬鹿じゃないの?
ひらめき。閃光。湧き上がる知識。抑え込もうとする理性。
だが脳を侵食した余りに黒いひらめき――または誘惑――に抗うには、ゆかりは若すぎた。
そしてゆかりは、本当に僅かな逡巡の後――魂を、悪魔に売った。

誰もが声と言葉を失った。
『それ』を見慣れている筈の美鶴でさえ、声を失った。
いや、野性から人が解き放たれた証たる言葉の意味を、見失った。
静寂。
強い風が寮を横殴りする余りに五月蝿いその静寂の中で。

桜は――
メイド服を纏い、ただ百合の花の様に儚く、美しく其処に佇んでいた――

寮の人間達は知っている。
彼が無口で無表情でも、優しく、家事が好きで得意な人間だと。
寮の人間達は知っている。
彼が少し男性にしては線が細く、まるで女性のように華奢だと。
寮の人間達はよく知っている。
彼は、どちらかと言うと女性的な――それも美人と言われるような端正な顔の造りをしている事を。

その彼が、少し赤い顔で恥らいながら、目の前でただ立っている。
いつも毅然としたその彼が、何処か自信なさげに、目元を伏せながらもじもじと指を絡めながら立っている。

寮の人間達は人の英知の結晶とも言うべき、積み重ねによる遺伝神経――血よりも濃い、ウロボロスに刻まれた心という器官――で以って理解した。
『神が光臨された』と。
より簡単に言うなら『萌えー!!』である。
うん、そんな感じ。

まさに不幸の連続である。
あの時小田桐に出会わなければ。
あの時もっと洗濯機の中身をちゃんと見ていれば。
あの時一斉に洗濯、クリーニングに出す事を止めていれば。
ゆかりが弓道部で罰ゲームなど受けていなければ。
更にそのゆかりが、文化祭中止と共にメイド服を寮に持ち込んで居なければ――

こんな事には成らなかった。
少なくとも、何か一つ要因が消滅していれば、起こらなければ。
免れた事態ではあった筈なのに――
筈なのに――どうして!!

包丁がまな板を強く叩き、玉ねぎが弾け飛ぶ。
鍋の中の味噌汁を混ぜるおたまが、大きな大きな渦を作り出す。
振るうフライパンから、チャーハンが天井近くまで舞い上がる。

嗚呼、嗚呼――なんて事だろう。
お父さん、お母さん……貴方の息子は、今メイド服を着ながら料理を作っています。
此処は何処のメイド喫茶なのでしょう?

メイド喫茶は基本的にメイドさん以外の人が料理を作るし、両親に謝るべき事はそんな事じゃなくて触手ゲーとか平気で買ったりプレイする事だと彼は気付けなかった。
基本的に馬鹿だから。

怒り狂い、そして後悔に胸を冒されながらも、彼は食事の準備を終える。
何処かけだるい頭を振り、いつものようにテーブルに出来上がったばかりの料理達を運んでいく。
すると向かうべきその先――つまり皆が食事を取る団欒の象徴たるテーブルには。
特別課外活動部の面々が、満月の夜にも見た事ないような真面目な顔でスタンバって居た。
桜の腰が少し引けたのは、言うまでも無い。

ことん、と小さな音と共に、桜が作った料理達がテーブルに並んでいく。
まるで花のように、それらはテーブルに咲き誇っていく。
慎ましい家庭料理に彩られるテーブルは、少し嬉しそうにテーブルクロスを揺らす。
恥じらいの為か、どこか優れない体調の為か。
頬を赤く染めた桜は、しずしずと、料理を運んでくる。
目元には薄っすらと涙の痕。
悔しくて泣いたのか、チャーハンに入れた玉ねぎが染みたのか。
『ひゃっはー!!』
全員が心の中でガッツポーズ&レオ様だった。
喜びに彩られながら良識とか常識とか軽く本当に軽く踏破しながら電波と言う階段を三段跳びするもう駄目だと思う面子。

『此処は桃源郷だ』

誰もが思った。
ただ順平だけは低脳侍である為若干違う物をイメージしていたが。

そんな面子を前に、桜はやはり恥ずかしげに料理を運び続ける。
何故か今日に限って誰も運ぶのを手伝ってくれない事も、恥ずかしさの余り遠い遠い偉ごっつう遠い対岸の彼方である。
景色すら見ない。

次は岳羽の料理を運ぶ番だ……
心でそっと呟き、料理一式をお盆に乗せてテーブルに向かう。
もう何度目の苦行だろう。
敬虔な信者の巡礼の旅にも思えるそれを、彼はただただ続けた。
そして――
そして、その時がやってくる。
不幸の集大成とも言うべき、それが――彼の身に堕落の刻印を刻み込んだ。
クリム○ンの同人誌みたいに。

「あ……」
「え?」
足が滑る。
熱を持った脳は、正常な行動を許さない。
いや、脳が熱に冒されていなかったとしても、それは避けられなかっただろう。
運命。
最早そう呼ぶしかない、避けられぬ『絶対』。

回る。
桜の運んできた料理が、宙でゆっくりと回る。
桜の視界に映る見慣れた景色が、ゆっくりと回る。
セピアのスロー。
モノクロのサウンド。

「ッ……!」
痛みを訴える、小さな吐息――

「あ……」
セピアとモノクロが消えていく。
12色の鮮やかなカラーが、瞳に映る。
ゆかりの太ももに零れた、熱いスープ――

「――めん……」
言葉は、刹那に。
思考もなく、零れ落ちる欠片。

「ご、めん……」
共に戦い、共に歩む仲間を傷付けたと言うそれは、彼に思考と言う時間さえ許さない。
刹那に、言の葉は世界に紡がれる。
かすれて、今にも消えそうな音律で、世界を揺らす。

「ごめん……」
俯いて、声が震えて、手がゆかりの腕を掴んで――
「え……?」
許しを、請う。
「ごめんな……い……」
大切な――初めて触れ、初めて許され、初めて側に来てくれた綺麗な宝石達の一つに。
頬を濡らす涙にも気付かず、彼は心から謝った。
「ごめんなさい……」
『萌えーーーーーーー!!!』

勿論そんな事この壊れきった連中の知ったこっちゃねぇんだけどな。

■■■

さて、あれから既に数日が過ぎた。
そう、あの『メイド神月光館学園学生寮光臨台風お前マジ神GJ!!』奇譚から既に数日が過ぎた。
奇人が関わったという意味では、奇譚で正解だと思わなくも無い。

「ごほ……ごほ……ッ」
現在事の張本人であり現神様と崇め奉られる桜は風邪の為自室でダウンである。
どうやらあの日、長く雨に打たれたのがいけなかったらしい。
もっとも、それ以降の出来事にも原因はあるような気もするが、それは不問で。
転校前、奇異な行動の為避けられ続けた自分に、彼らは普通に、穏やかに接してくれる。
だから、それはいいじゃないか。
彼はベッドの上で咳き込みながら、そんな風に考えた。
うん、いいよな。

「ほら、桜くん! ゆかり特製スタミナおかゆだよ!」
「桜、俺の特製プロテインで風邪も一撃ノックアウトだ!」
「桜ー、今日は何読んで欲しい? 桃太郎か? 浦島太郎か? 人妻束縛SM遊戯か?」
「桜さん! 桃缶を買って来たであります! ……あ」
「桜くん、私の作ったおじやどうかな!?」
「桜、父に頼んでアフリカの未開民族が用いる特効薬を届けてもらったぞ!」

OK、分かった。
そんなスタミナつくもんなんでも放り込んだやたら真っ赤なおかゆはもうおかゆじゃねぇし
なんか斑模様が目に眩しいプロテイン飲んでどうこうなる様なもんでもねぇし
お前に御伽噺読まれても嬉しくもねぇけどとりあえずその人妻は置いとけ。後で読むし
桃缶買って来てくれたのは嬉しいけどここで握りつぶしたら意味ねぇし
お前論外どっか失せろ。48の殺人料理の犠牲になりたくねぇし
お前が飲めそれ。アフリカの未開民族ってなんだ。

あの日、あの時、様々なものが彼らの心を染め上げた。
愛情、友情、感情と言う人の――生物の最も汚くて綺麗な信号の一つ。

そしてこの日から。
特別課外活動部の主だった面子は桜を更に受け入れ。
桜は徐々にやさぐれていくのであった。



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ツーわけで、一日に二本SS追加。
いや、P3サーチにも登録したんで、二本だけじゃ寂しいかと思いまして。(現在はブログを閉鎖されているので、登録はされてません)
特に意味のないSSです。
ただまぁ、此処が起点になったというそんなお話。お話?
前回のコメントのレスについては、下の日記つーかSSの下にあります。

で、ネタになったメイド服ですが。
これはSRCシナリオライターでもあり、またチャットでも少し交友のあった神威さんとこの日記にあるSSから拝借。
面白いP3SSが沢山あるんで、P3好きなら必見ですぞ。
ちょっとエロいけど……うん、分かってる。僕が言えたこっちゃねぇって事はな!

まぁとりあえず。
タイトル見てダイナ○イト☆○美思い浮かべた人は悔い改めろと。
うん。

つか、ごめん。
服が無い理由とか、メイド服着る理由とか、強引なのは分かってるんだ……