【Heartful Cry】
今日はいつもどおりけたたましい目覚まし時計で目を覚ますはずだった。勿論目覚ましを付けていたし、途中で電池が切れるようなミラクルに遭遇した訳でもない。
ただ、まだ鳴る前の時間に起こされてしまっただけだった。
「ねえお母さん、そろそろ起きてよぉ」
ああ、またか。本当に子どもは朝が早いものだ。貴重な睡眠時間を阻害されたけれど、決して怒ったりはしない。勿論多少不機嫌になるから、と言うのもある事はある。だけど、そんな事でいちいち怒るほど小憎らしい相手ではない。
「……う、ん。分かったからちょっとどいてね」
えー、とぶつくさ言いながら彼女は渋々私のベッドから降りていく。まったく、誰に似たのだか。
いや、自分だった。
誰に、とは言うまでもなかったけど、全く同じ事を私はした経験があった。今思えば本当に何をしていたんだろうと思う。
「ねえお母さーん。お腹すいたよぉ」
「はいはい分かったから」
朝から元気だなぁと思っていたら、やっぱりそれも私に似ている。内面の血は私自身を強く受け継いだのか。
カーテンの隙間から出てくる木漏れ日がやけに眩しい。良かった、今日は仕事が休みでも出かける用事があったから運がいい。
よっと寝起き特有の気だるさを払拭させながら体を持ち上げる。ベッドの横にある机の上には立てかけてある二枚の写真があった。一枚は寮のみんなで十二体のシャドウを退治した時に撮った写真。あの時は無意識の内に私は彼の隣りにいたとこれを見る度に思い出して恥ずかしくなる。
そしてもう一枚は、彼と最後に行ったデートで記念に撮ったものだ。その時はニュクスとか影時間とか、そういった事は全て忘れていて、私は普通の高校生として生活していた。
だけど彼は違った。覚えていて、自分がもう長くないと悟ったから、数少ない自分の生きていた証を遺したんだろう。
彼が持ってきたデジカメで、誘ってきたのに照れくさそうな表情だけど、ちゃんと腕を組んでくれて撮ってくれた。
「おはよ」
私は在りし日の彼が私にくれた忘れ形見に挨拶をする。
彼がくれた命であり、私の宝物、自分の娘に――。
「ねぇお母さん、今日はお出かけするんでしょ?」
「ええ、そうよ」
「どこまで?」
娘と一緒に食べる日曜日の朝食。テレビからはこの曜日特有の番組が流れ、それをバックに今日の一日の行動を娘に話す。
「今日はね、お母さんの友達と会うの」
「んーっと、この前電話してた風花さん?」
「そう」
興味があるのか無いのか、あれば食いつくけど無ければ父親譲りの「どうでもいいよ」が炸裂する。一度真面目に働いている順平と会った時に要らん知識を植え付けられたのだ。だけど、そんな所を抜いても父親に似ている。
「一緒に行ってもいい?」
「勿論じゃない」
そう言いながら娘は心から嬉しい顔をしながら焼き上がったトーストを口一杯に頬張る。食欲旺盛な所も父親譲りだ、決して私の血じゃないと思いたい。
よく食べよく寝てよく遊ぶ。そこには純粋に育った子がいる。だけど父親という存在を実感する事は無い。
私も今のこの子の時にお父さんを失った。それに追い討ちをかけるようにお母さんが男に溺れた。だけど、今の私ならお母さんの気持ちが分かる。
自分が愛した人がこの世からいなくなった時の辛さを身をもって実感したから。その時はたかが高校生の分際で理解出来るとは思えないだろうが、自分の回りの世界が音を立てて崩れ去ったのだ。
その空虚となった世界を埋める為に母は他の男性を、私はその“後”で知った新しい命に注いだだけだった。
食後の休憩を終え、ちょうどいい時間帯になったのを確認して私達は久し振りに遠出をする事となった。
場所は言うまでもない、私と彼が過ごした一年間があったあの町へ――。
「よいしょっと……」
ちょっと大きいリュックサックを揺らしながら、娘はあの時から何も変わってないポートアイランド駅に降りた。
中には休日でも熱心にやっている部活に励む生徒がいる。そこにはかつて私が所属していた弓道部だと確信出来る練習用の和弓を肩にかけた生徒もいた。
私達はそれを尻目にしながら待ち合わせの場所であるポロニアンモールの今でもフェロモンコーヒーが人気の喫茶店『シャガール』に向かった。
「どうでもいいけど、フェロモンコーヒーを飲んで魅力が上がるのって、通販でモテるネックレスを買って町中で歩くのと同じ原理な気がする。注文するだけで回りの視線が痛い」
初めて彼と行ったここで開口一番に言ったセリフを思い出す。そんな彼が店員に「いつもの」と言って出て来たのがフェロモンコーヒーだったのを見て笑った記憶がある。
約束の時間まであと五分。私達がここに来て少し経った時、店の入口に緑色の、あの時より少し伸びた髪をした一人の女性が入って来た。
「あっ、風花こっちよ」
そう言って軽く手を振ると、彼女――風花が気付いてくれた。
「ゆかりちゃん久し振りだね」
「まあね、とりあえず何頼む?」
居酒屋のビールじゃないけど私はフェロモンではないコーヒーを、娘はメロンソーダとプリンアラモードを注文している。しかしながら我が娘、まだ来てないのに早くも次に何かを頼む気満々だ。やはり“父親の”血を濃く受け継いでいる。決して私じゃない、私であってたまるか。
じゃあ、と言いながら風花はダージリンティーを注文する。それを横目に更に注文をしようと考える娘。あなたの胃袋はユニバースなの?
それからしばらく他愛も無い雑談の後、かなりの食料を胃袋に沈めた。食後にちょっと暇そうにしている娘を見て、私達はシャガールを後にした。
行き先は巌戸台分寮があった所。今は人々の憩いの場なのか、小さな公園が出来ている。娘はそこで遊んでいる女の子達と初対面にもかかわらず楽しそうに遊んでいる。
「なんかさ、彼と似ているよね」
「うん」
それをベンチで見ながら私と風花は穏やかに話している。
「あの子にね。まだ彼がどうしているのか話してないの」
勿論今でもあの封印を行っていると話しても理解出来ないだろう、だからお父さんは死んだと言うしかない。私自身、彼とは二度と会えないことを理解もしているから――。
「会いたいと思う事はあるの?」
風花の質問はどうとも言えない。私自身これからずっと彼に操を立てる。それは一生変わる事は無いだろう。例え娘が大きくなってもう結婚してもいいと言われようと、彼がこの世界を守ってくれていると分かっているから。
「ごめんね、それとありがとう」
私は風花に、皆に凄い迷惑をかけた。
「まだ、あのときの、最後の寮の日の事を?」
私は小さく頷く。それを見て風花は大丈夫だよ、みんな分かってくれたからと励ましてくれる。彼がいなくなってから、私はみんなに助けられてばかりだった。
「だってゆかりちゃんや桐条先輩なら分かるもん。お父さんがいない子どもがどれだけ辛いのかって」
「でもさ、私はあの時みんなで戦うように仕向けたりしたじゃん」
「いいのよ」
「それに美鶴先輩に休学の事実を伏せてもらったり……」
風花は分かっているから、と微笑んでくれる。
あの時、三月三十一日の最後の日、私は予備校にいると嘘を付いた。
本当は数日前にあった体調不良を感じてある病院にいた。休み時間が終わると言って切ったのは、私の診察の時間だったから。
そこは産婦人科だった。あの日、あの時、あの瞬間、私は妊娠の事実を知った――。
誰が父親かは言うまでもない。彼以外と経験が無かったから。
時が止まるという事は、いつまで経っても自分のお腹の中にいる後が成長する事は無い。それがとてもかわいそうだから、何としてでも早く騒動を片付けたくて――。
そして生き返らせるかもしれないと言う事実を聞いて、自分の過去を思い出した。父親がもしかしたら生き返らせる事が出来るかもしれない。何としてでもそれを実現させたかった。
「風花、お母さんに会いに行くのに付き合ってくれて本当にありがとう」
「だって友達じゃん、あの時、それに今もこれからもね」
でも、彼がこの世界を守ってくれている事が分かって、決して一緒にいる事だけが良い事とは限らないから。今でも私は彼と心が繋がっているかも知れない、そんな自分勝手な解釈だけど、私はそう思う事で一歩ずつでも、前に進む事に決めた。
「ゆかりちゃんのお母さんさ、話を黙って聞いてくれたよね」
親が親なら子も子だった。お母さんは私が彼をどれだけ愛しているのかを黙って聴いてくれて、静かにお金を渡してくれた。いつか、私が結婚をするかもしれない時にと、確執があった時にも貯めてくれた貯金だった。
その後私は美鶴先輩を通じて一年間の休学措置を取ってもらった。勿論理由は、この子の事実を可能な限り伏せてもらうため、と言うのもあったけど、少しだけ考えたい時期があった。ルームメイトのアイギスも理解してくれた。
そして私は苗字を変えた。変わった苗字は言うまでもない。
一年留年して私はあの子を産んだ。何も後悔など無い。当然私や変わった苗字の先――鳴海と言う苗字を知る人間は、複雑な心境だったのかも知れない。
「風花……」
「なにゆかりちゃん?」
「私はさ、後悔してないよ」
彼がいない事、あの時もしかしたら彼を見捨てたと同じ事をしてしまったのかもしれない。
だけど、一つだけいえる事がある。
その事を言ったら風花は笑って答えてくれた。
「それにこの子がいるからね、幸せだよ」
NEXT